マリンスノーの輝き

マリンスノーの輝き

残したい想い 海に降り積もる雪に

【聴いてから読んでね】HAPPY PARTY TRAINの行く先

発売直後ということもあり、ネタバレ回避のために適当にこの曲聴いて思ったこと、考えたことをざっくばらんにまとめていこうと思います。

 

まずこの曲を試聴動画で初めて観て・聴いた時に違和感を感じました。

曲の歌詞はすごい前向きなのに、PVの断片断片がどこか後ろ向きというか、少なくとも真ん前を向いてはいないなと。

駅のホームで電車を待つ物憂げな表情をする果南ちゃん、その電車の行く先は……

多分この真相は発売されるCDに付いてくるPVを観ないと分からない……という含みを持たせた試聴動画を公開するランティス、さすが汚い(褒め言葉

あとはこの曲のイメージとしては「一期一会」というのも持ちました。「はじまりと(さよならを) 繰り返して」という歌詞からです。

もしかして果南ちゃんは他のメンバーから離れてどこかへ行こうとしてるんじゃないか、"一期(いちご)"のシーンだけで"一会"はあるのかという不安も少しありました、少しね。

 

 

そしてついに曲が発売され、フルの歌詞が公開されました。何度かその歌詞を噛みしめて噛みしめてみました

 

ひとつ気になったのが、最初のサビと最後のサビで歌詞が微妙に違う、という所です。

最初は「期待"で"かがやく瞳なら見えるよ」「遠い駅できっと何かが待ってる"ね"」

最後は「期待"に"かがやく瞳なら見えるよ」「遠い駅できっと何かが待ってる"の"」

前者は外的要因から成り、希望観測的な歌詞

後者は自発的な要因から成り、確信を持ったような歌詞になってます。

前半は、わざわざ助詞を変えてるという事は何かあるということでしょう、現に前者だと「(他からの)期待」という風にもとれますし、後者はより直接的な助詞を使ってるのでおそらくその違いを出したかったのではと思います。古い言い方でいう「てにをは助詞」というものです

後半のこの移り変わりは、その間に何かあったということになります。果南ちゃんの憂いげな表情から発せられる「待ってるね」は、途中メンバーからの刺激を受け確信に変わり、清々しい表情での「待ってるの」に変わった、ということになると思います。

 

「開いた花の香り」という所やセンター投票上位メンバーのソロパートの背景などから、μ'sの歌う「僕たちはひとつの光」からの繋がりなのでは、と推測する意見もちらと見ましたが自分は違うと思います。

Aqoursのみの時系列でみると、アニメ1期が終わり、1stライブが終わり、やっと「0」が「1」になりました。そのことを"花が開く"と比喩し、「香りから受け取った次の夢」というのがこれから始まるNext Projectのことなのでは、と予想しております。

 

詳しくはまた省きますが(逃げ)、歌詞を見て総括すると「ワクワク」「ハラハラ」という期待ばかりではない、不安もあるといった複雑な歌詞の内容からもとれるように、このHAPPY PARTY TRAINという曲は、"0から1になったAqoursの今を活きているそのまんまの姿"を表した曲なのではと思いました。

 

 

 

※ここからはPVの全てのカットになにか意味があるのでは?という前提で話します

 

 

花丸が焼き芋を作ってたのはただ食べたかったからだと思います(真顔)

でも最後で「おいも焼けたずら♪」と言ってたので、果南ちゃんに差し入れしようと思って作ったんですかね。優しいのぅ

最初はルビィちゃんと食べようと思って作った、みたいな想像もできますね。おいも好きですしルビィちゃん。

 

善子のいたドールハウス、実在するところ(ドールハウスKIMURA さん)みたいですね、これには驚き。興味がある方は行ってみては

で、あのドールハウスで善子が見てたAqours人形、1年生だけ何か特徴のあるものを持たせてるんですよね。ルビィはペロキャン、花丸は本、善子は黒羽と。

もしかしてこの人形作ったの、善子自身なんじゃないかと思ってます。善子人形を列に置いた時の満足げな顔からも多分そうなんじゃないかと。後々のちょっとした伏線にもなるんですかねこれは。

 

梨子ちゃんはメロディを完成させ、千歌ちゃんは(部室の机上に積んであったみかんを全て貪り尽くしつつも)歌詞を完成?させ、果南ちゃんの元へ行く準備を済ませ向かう曜ちゃん。

 

理事長室のやりとり、もっと見たかったなぁと個人的には思ってます。「鞠莉さん!行きますわよ、果南さんの元へ!」なんて言ってたんですかねダイヤさん。二人の表情は危ういものを止めに行くような切迫したものではなく、楽しさを全面に出した表情でした。(ここまだ書ける)

 

 

そしてこのPVの一番のミソであり、歌詞も一番の議題点となる部分、「意外な人がそばにいた?」の所で、幼少期のメンバーが出てきます(ルビィちゃんは初出!)

 

先に結論から言うと、あの幼少期のメンバーはPVで踊っているメンバーと同一なんじゃないかと考えています

…これだけ言われるとなんのこっちゃ分からんと言われてしまうかもしれませんが、少なくとも"私服の姿でいるAqoursメンバー"とは別個のものと考えるべきなのでは、と。

勿論、幼少期メンバーが実際に電車に乗ってたなんてことはあり得ないのであれは果南ちゃんの想像が作り出したもの、とでもしておきましょう

今を生きる自分はどうするべきか、どこへ向かうべきか迷う果南ちゃん、そこに現れた幼少期のメンバー、その目的はおそらく果南ちゃんを正しい未来へ導くレールを築くため。

そして希望にあふれる歌を歌うメンバー、その衣装は駅員。同一した道先案内人という役割を担ってるような気がしてならないのです。

 

「意外な人がそばにいた」というフレーズはいろいろな解釈が出来ますが、このPVだけに関した話なら果南ちゃんにとってそれは「今までのAqoursメンバー」だと思います。あまりにも近くてあまりにも当たり前のような存在だからこそ、思い悩み迷う時に見失ってしまう存在、なんて経験がある人もいるんじゃないでしょうか。

そんな"意外な人"たちが、明日が呼ぶ先へ向かう果南ちゃんを察知して集まるわけです。アニメ的な展開でいうなら、千歌ちゃんあたりが「私たちは9人でひとつなんだよ、1人じゃダメだよ。」と果南ちゃんに訴えかけ、他の誰かが「一人で明日に向かうんだったら、その電車にみんなで乗り込めばいいじゃん!」と言い出すんでしょうね。青春だなぁ(涙)

 

で、私服のメンバーと衣装メンバーが同一でないと決定づけたのがPVの最後のシーン。私服の果南ちゃんが見上げた空の先に、空を目指して進む電車に乗る管区長の果南ちゃんがいた、という所です。

情景描写的にものを言うと、同じキャラが2人も描かれてるというのは過去の自分と未来の自分、みたいに何かを機に考え方や生き方が変わった後と変わる前、というのを表すために描かれるものだと考えてます

つまり私服の果南ちゃんを無事終着駅にたどり着かせたのは管区長の果南ちゃんであり、私服の果南ちゃんの手を取り迷いを晴らした幼少期の果南ちゃんとも同一の存在である、と考えてみてもいいのでは?と思い、先程の結論を出してみました。

さしずめ、駅員の衣装を着た他のメンバーも幼少期の姿となって私服の果南ちゃんの前に現れ、そこから管区長を筆頭に道を創っていった(レールを敷いて終着駅に着くようにした)っていう解釈でもいいのではないでしょうか、ちょっと都合よすぎですかねw

今更ですがPV最後のサビで果南ちゃんのソロが入る時にエメラルドグリーン色のレールが敷かれた時は鳥肌が立ちました……人って本当に感動すると言葉失うんですね。

エメラルドグリーン色の草原(ファンのサイリウム)に浮かぶレール(舞台演出)、2ndライブで再現されることを期待してます!

 

PVを観た人の大体が思った「結局果南ちゃんはどこへ向かったのか」という疑問ですが、それは恐らくこの夏の2ndライブ、ないしは先日のニコ生で発表されたファンミーティング、だったとしたら胸が熱くなりませんか?

自分たちAqoursのファンはもちろん今後控えてるステージを楽しみにしてはいますが、Aqoursの皆はこれまでの活動や1stライブ以上のプレッシャーも感じてると思います。私服の果南ちゃんの見せた表情は、もしかしたらAqoursのメンバーが抱えるプレッシャーからの苦悩の表れのようにも感じ取れました。それはHAPPY PARTY TRAINが"今この時を活きるAqoursの姿"を表した曲だと思うからです。

さらにたたみかけるようにイベントの数々で、Aqoursの皆の体が果たして持つのかというような心配も自分はしています。そんな心配も跳ね除けるでしょうよ、という楽観的なことを言ってしまえばそれまでですが、何があるか分からないのも実際のところあるので、決して無茶せずこれからのステージ作りをしていってもらいたいですね……

 

 

 

以上がHAPPY PARTY TRAINを聴いて、PVを観て思ったこと(+α)です。一曲にこれだけ思いを馳せたのは初めてのことですかね、それだけこの曲は素晴らしいし、これからももっと輝いて欲しいって考えてるのです。果南ちゃんセンターなので(重要)

まだまだこの曲のすべてを理解したわけではないと思ってますし、これからも折に触れて理解を深めていきたいと思っています。とりあえず今はこんなこと思いましたよ〜的に見ていただけたなら幸いです。ご清覧ありがとうございました。

 

 

Pastel

μ'sic forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪〜あの日から一年〜

μ'sの奇跡の物語に幕を下ろしてから一年、あっという間のような、振り返るととてもとても長いような、そんな一年が過ぎました。

 

そんな一年が過ぎた今、改めて自分が見て・感じて・聞いてきた思い出と演者の方々の言葉を読んで思った事をごったにして、まさに"雑記"として形に残してみようと思います。

このブログを打ってる時、自分の大好きな日本酒を何杯も飲み、自分が一番好きなμ'sの曲「僕たちはひとつの光」を聴きながら明け方を迎えております。

環境としてはなかなか殺伐としていますが、いてもたってもいられなかったんです(笑)自分の言いたいことが1mmでも伝われば幸いです。

 

 

 

まず自分自身のμ'sFinalLIVEの思い出としては、「一生一代の大きなお祭りではあるけど、どこか特別な思いも渦巻いた場であった」という印象が強いです。

その特別な思いというのはやはり、これが最後のワンマンライブだから、ということでしょうか。

最後のライブということもあり、今まで(といっても4thLIVEのライブビューイング以来のμ'sLIVE参戦でしたが)以上に気合いを入れて望んだので、期待半分不安半分ではあったのですが、終わってからは「よかった、ありがとう」の思いが強かったです、ライブ終わると語彙力が下がるって本当なんですね(笑)。

μ'sは"解散"ではないので、個人的にはそこまで寂しさを感じませんでした(後々とても寂しくなってますこの男)、あとは祭りの空気に当てられてというか、久々に会う人もいたというのもあってか、とにかく楽しい場であったというのが率直な感想ですね。

こういう機会でしか皆も集まれないので思いもひとしおというものです。

一日目はライブ前に集まって写真撮ったりして、ライブが終わってから知り合いのオタクの家に厄介になり色々な話をして、二日目を迎えまた集まって、ライブが終ったらメシを食いに行ったりと、今思い返してもいい思い出です。

 

 

 

 

 ここからは、自分がLIVEのパンフレット、CUT2016年6月号、リスアニ!2016年12月特別号を読んで演者の思いを絡めつつ思った事を述べていきたいと思います。

凄いですよね、一年経った今でもこうやって形に残るように特集が組まれて冊子となっていつでも読めるように刊行されてるんですよ。

ラブライブ!」が並々ならぬコンテンツであることはここからも伺えますね。

それはさておき、まず皆さんが口を揃えて言う事は

 

「①9人がカバーし合える関係になっている」

「②ここまで来れたのはファンの皆様のおかげ」

「③LIVEが終わった後の記憶があまりない」

ということでした。

 

①のカバーし合える関係、これは本当にそうだと思います。

いい意味で「言わなくても分かるでしょ?」っていうのをまさに体現するシーンも、自分がμ'sを知ってからFinalを迎えるまでの間で何回か見てきましたし、それだけこの6年間が濃厚で凝縮された期間なんだなっいうのも分かります。

 

②はファン冥利に尽きる言葉だと思います。

自分が初めてラブライブ!を知ったのが、Androidスクフェスがリリースされた頃なんです(2013年の6月頃でしょうか)。

その頃からおぼろげにラブライブ!のことを知り、アニメを観て引き込まれて、2014年の1月(4thLIVEが行われる前の月!)にラブライブ!好きが集まったオフ会に参加したことをきっかけに本格的には応援するようになりました。

そんな自分が言うのも何ですが、たとえラブライブ!を知った、応援し始めた時期が遅かれ早かれ、「好き」という気持ちに変わりはないはずなのでどの時期から応援し始めた人にとっても嬉しい言葉だと思います。

正直いちファンとしても、本当にドーム公演が出来るとは思ってもなかったし、そこまで連れていけた実感は微塵もないですけどね(笑)。

これも日本だけではなく世界に居るラブライブ!が好きなファン一人ひとりの思いを束ねたからこそ起こせた奇跡だと信じてます。思いを一つにした人間の力は計り知れないです。

 

③に関しては当然だと思います。

自分も中学高校と吹奏楽部に所属してまして、大小様々なホールで演奏をしてきました。県の大会で演奏した時ですら「あれ、自分いい演奏できたんだよね、出し切れたんだよね」っていう頭の中が真っ白に近い思いになるくらいなので、それとは比べ物にならない規模で行われた舞台なんです、文字通り想像がつかないですよ。

μ'sの9人誰もが6年後に東京ドームに立つとは思ったことがないだろうし、素人目からしてもあまりにもスケールが大きいので……ある意味9人も舞台から降りれば、演者の9人がキャラの9人を背負わなければ自分たちと変わらない"人間"なんだなってのを感じさせてくれて、安心しました(完璧超人集団ではないんだという意味で!)。

他にも様々な話が誌面ではなされていましたが、ここでは省かせていただきます、実際に誌を手に取って貰う方が早そうですし(省く、甘美な響きですね………←)。

 

 

そんな感動を見せてくれたμ'sですが、これまでも、そしてこの時も成功ばかりではないのです。

FinalLIVEでの具体的なエピソードを挙げると、新田恵海さんが台湾のファンミーティングで立ち位置を間違えて空虚なスポットライトが当たってしまったり、FinalLIVE初日にマイクを落としてその後楠田さんが蹴って転がっていってしまった……というのがありました。……本当に穂乃果ちゃんみたいだなぁ(笑)って思いましたね。

こういう話は好きです、意地悪に捉えられるかもしれないですけど演者でしか語れないような失敗談だったりはインタビューやラジオでしか聞けないものなので、貴重だし興味深いんです。

先にも言いましたが9人は決して完璧ではないですが、確かにその場その瞬間は自分が命を吹き込んだキャラクターといい意味でもよくない意味でも一心同体だったということが改めて分かる、いい思い出話でもありました。

 

 

 

 

ここでは披露された曲について、特に印象に残ってる曲に対する感想なりを

 

過去に披露されたことのある曲に関しては流石だと思いました。

映像を通して見たことはあるけど、やはり現地で聞くものに勝るものはないなと確信しましたね。

 

PSYCHIC FIRE、とってもとっても楽しかったです、Final2日間で披露された曲の中で一番はしゃいでました(笑)。

元々この曲はライブですっごく盛り上がるだろうなぁ〜と期待してた曲だったので、当然といえば当然の感想なのですが、皆と盛り上がるっていうのがさらに高揚感を煽りましたね。

これがまた舞台で踊るBiBiの3人が楽しそうなんですよ、煽り方もまた上手い!場数を踏んでライブ慣れしてる徳井さんや南條さん、パッションを全身から飛ばしてくるPileさんの息の合ったパフォーマンスがすごかったです。

 

Angelic Angel、まさかこの曲で涙を流すとは思っていませんでした。

この曲は劇場版の主題歌、初めて聴いた時はこの6年間のμ'sの成長の集大成を表すような、でもどことなく終末感もあって寂しさもある、そんな曲という印象が第一でした。

センターが絵里というのとこの時まではあまり意識はしてませんでした。

しかしいざFinalを迎えた時には、目の前に見える舞台には南條さんがセンターに立つ姿が見えて「あっ、この曲……大丈夫なのか」というのが一番にありました。

この時期南條さんは膝の調子が悪く、長野で行われたファンミーティングでも、椅子に座りながらの歌の披露となってたので不安はますます増すばかりでした。

そして披露された踊り、南條さんは見事に踊りきりました。

それだけでも感動ものなのに会場は水色のサイリウムの光一色に染まっており、ファンの皆の暖かさを目の当たりにして、我慢出来ずに泣いてしまいました。

本当に本当に綺麗でした……水色一色で染まる光景がSnow halationの橙色と対比になって、また一段と綺麗な光景となり、目に焼き付けられました。

 

そして僕たちはひとつの光、LIVE会場では大きな蓮の花のセットの上でμ'sの9人が最後の舞を魅せてくれました。

現地で参加してる自分は、MOMENT RINGが終わって暗転してる中でハッキリと蓮の花のセットが認識できた所でもう既に涙が止まりませんでした。

そこまで再現してくれるのかという感動と驚きや、あぁ、これで本当に最後になってしまうんだな…という寂しさや名残惜しさ、そしてこれから目の前で繰り広げられる光景を東京ドームという同じ場で見れるという嬉しさ、いろんな思いが混ざっての涙でした。寂しさが一番強かったですけどね(

蓮の花がどういう環境で花を咲かせるのかというエピソードを調べて知った時は、また泣きました。

気になる方は調べてみては。

 

この曲、解釈は人それぞれだと思います。

新田恵海さんもSUNNY DAY SONGは「みんなの曲」だけど僕たちはひとつの光は「9人の曲」という認識であると答えていたり、劇場版でも言われていたり、通説通りならこの曲は「9人の曲」である。

こう明言されてるがために会場でファンが歌うことに関して物議を申す方もいるかと思います。

 

最終的に僕は、「9人のための曲だけど、9人だけの歌ではない」という結論を出しました。

東京ドームでのFinalLIVEでμ'sの物語は幕を下ろし、完成されました。

だとしたら、東京ドームで皆が"自然に"歌詞を口ずさんだのは別段不思議なことではないのではと思います。

輝かしい美しさを誇るダイヤモンドも、磨かなければ輝けません。

この曲に限らずですが、FinalLIVEでは至るところでμ'sとファンの皆が「ひとつ」になることで、そのたびに大きな輝きを見せてくれたと思います、μ'sを輝かせる砥石となれたと思えば、またこれもファン冥利に尽きるというものです。

 

皆で叶える物語、最後も皆で作り上げるのだから、これが「僕たちはひとつの光」の完成系なのだと、そう思います。

"僕たちは"この東京ドームで心を"ひとつ"に、"光"になったのです。

ますますこの曲が好きになりました……

 

 

 

 

今でも9人はどこかにいる、それは演者の方々と同じ思いです。

自分が一番好きな東條希さん、新田恵海さんを始め、18人を忘れた時はありません。

自分は一つのコンテンツに執着しやすいオタクであると自負はしつつも、この日を迎えるまではラブライブ!サンシャイン!!を主に応援してきていました。

もちろん完全にμ'sの18人を忘れたわけではなく、FinalLIVEを終えた後でもスクフェスACやキャラ・声優の誕生日、様々な形でμ'sを思い起こす場面が用意されています。

 

劇場版でμ'sの9人がアメリカから帰ってきて、街中にμ'sのポスターや映像が有る風景が映し出されたように、この現実世界でもそれに近いような風景になってきているのかな、とひしひし実感しています。

それだけ根強くなったコンテンツでもあるし、表現としては大袈裟であり適切でもある、"伝説"になったのかな……と思っております。

たとえ伝説になったとしても精神的な距離は決して遠くなっておらず、身近な存在であり、"当たり前"に近しい存在になりつつあるのかな、とも思っております。

それがμ'sが望む"これから"なのかな、と。

 

μ'sの皆が自分たちファンに向けてお願いをしていました。

「私たちを忘れないで」と。

 

自分は決して忘れません、このμ'sが描いてきた奇跡、そして軌跡を。

思い出として、青春として、自分の中に刻まれたこの時間は決して忘れません。

 

刻まれた時間は決して幸せなものだけではありません、マイナスな思いや記憶も確かにあります。

けどそれも全部ひっくるめて、一つひとつが思い出のエッセンスとなって、大きな"経験の記憶"として頭に心に思い留めて、これからの人生前を向いて生きていこうと思います。

 

……スケールが大きくなりましたが(笑)、とにかく去年の今、刻一刻と人生における大切なかけがえのない時間を過ごしてきたんだなと思っております。

そしてその時間があってこその"今"を生きるべきなんだなと思います。

"今が最高"と本心からまた言える日が来るまで。

 

 

 

以上が雑記となります。

一年前から今まででTwitterで言ったことだったり、このブログを書き起こすまで言わなかったことだったりをほぼ全て言えたと思います。

初めてのブログという事もあり、うまくまとめられない所もあり読み疲れたはずです、いや、読み疲れましたよね?(確信)  お許しをm(_ _)m

 

 

 

 

 

最後に

ラブライブ!を知るきっかけを与えてくれた人、知る上で魅力を語ってくれた人、オフ会を主催してくれた・誘ってくれた人、自分がライブに連れてきた・連れてきてもらった人、そしてμ'sの18人に「ありがとう」を

 

 

 

 

Pastel


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東京ドーム近くの桜、綺麗に咲いてました。