どうも、Pastelです。
ようやく書く気力が湧いてきたので、この曲について書きたいと思います。
さかなかなんだか?
フル音源が公開され、3rdで披露された今
改めてこの曲について考えてみようと思います。
試聴版での考察は前回書きましたので、よければそちらも読んでいただければ。
pastel8memorandumllfinalafter1.hatenablog.com
上記記事で書いた、試聴版から聴き取った歌詞と表記が違う部分もあるので
改めて正式な歌詞全文をまずは載せておきます。
※歌詞は斜体で引用形式で示しています。
軽くなれもっと 身体も頭も
いま世界から解き放たれて
ねえ私は誰だろう? さかなになれるかな
ちからを抜いて 浮かんで流れる
見慣れたいつもの空 キレイだ!
ああこのまま 青い水に溶けてしまおう
波が歌うように 寄せて引いて
灼けた肌にはひんやりと気持ちいいね
目を閉じたって眩しいから 悩みも消えてく
SA-KA-NA SA-KA-NA SA-KA-NA
自由なミライを
SA-KA-NA SA-KA-NA SA-KA-NA
泳いで行こうよ
気まぐれな夢 揺れて揺られて 捕まらない? 追いかけよう!
SA-KA-NA SA-KA-NA SA-KA-NA
自由なミライは
SA-KA-NA SA-KA-NA SA-KA-NA
泳ぎやすいよ
何も持たない希望以外は この海で明日も遊ぼう
軽くなるきっと 心は憂いは
涙よりしょっぱい水の中で
もう私は泣いてられない さあ潜ろうか
砂に隠された 貝殻たち
拾ってみればゆらりと逃げたがる
からっぽなのに不思議だよね 解放してあげよう
SA-KA-NA SA-KA-NA SA-KA-NA
自由なミライを
SA-KA-NA SA-KA-NA SA-KA-NA
泳いで行こうよ
気まぐれな夢 揺れて揺られて 捕まらない? 追いかけよう!
SA-KA-NA SA-KA-NA SA-KA-NA
自由なミライは
SA-KA-NA SA-KA-NA SA-KA-NA
泳ぎやすいよ
何も持たない希望以外は この海で明日も遊ぼう
私はおさかな そんな気持ちのまま
ゆっくり目を開けて 足を着けて
立ちあがる ひとにまた戻りながら でも心は軽くなってた
3rd LIVEでは
イントロ~1番サビ→地上から海上
2番Aメロ~2番サビ→海中
それ以降→地上
とバックスクリーンは切り替わっていったので、より情景は分かりやすくなりました。
これは諏訪さんのこの曲に対するイメージがそのまま映像になったようですね。
この曲を聴いたときに、1番は果南の家の前で想像してるところから海の中へいくイメージで2番は海の仲間たちと遊んだりしてまた現実に戻るようなイメージがあったので
2018年 月間声優アニメディア 9月号 P.15より
今回の記事では二番以降から考察を始めていきます。
では参りましょう。
軽くなるきっと 心は憂いは
涙よりしょっぱい水の中で
もう私は泣いてられない さあ潜ろうか
一番Aメロと同じような倒置法が使われていますね
心はきっと涙よりしょっぱい水の中で軽くなる
憂いはきっと涙よりしょっぱい水の中で軽くなる
後に来る「もう私は泣いてられない」というのも相まって、泣いた顔を誤魔化すために潜ること
そして、果南の思い描く"うみ"に潜りさかなになることで自分と同じように思い悩む人を救うために泳ぎだすのです。
涙というワードが出たところでいったん振り返りをしますと
果南がアニメで泣いたシーンは四回あります。
①一期9話「未熟DREAMER」で鞠莉と二年の時を経て仲直りしたとき
②一期13話「サンシャイン!!」であの時置いてきたものを取り戻そうと三人で決意したとき
③二期6話「Aqours WAVE」で千歌が大技を成功させたとき
④二期13話「私たちの輝き」で校門を閉めるとき
スクショ撮る度に泣けてきて辛い
この4つの涙の中で、この歌詞に当てはまるのは恐らく①の涙だと思います。
後ほど語るのですが、果南はこの涙をきっかけに幼馴染の二人を救おうとしたのではないかと思います。
1,2年生が繋ぎ止めた自分たち3年生の絆
その恩返しとして、今度は1,2年生の間で離れるようなことがあるときはなんとかしよう
そのような考えを一期9話の終わりから11話に入る前で思い、この部分の歌詞は書かれたのではないかと個人的に予想しています。
そして「青い水」同様、"海"を「涙よりしょっぱい水」と別の言葉に例えています
改めてここで言われている"海"が現実には存在しない果南にとっての理想の世界であり、現実世界にいる間は"海"とは言わないということの再確認になります。
さて
砂に隠された 貝殻たち
拾ってみればゆらりと逃げたがる
からっぽなのに不思議だよね 解放してあげよう
数々の果南推しを悩ませたであろうココの表現
僕はこう解釈します
貝殻が逃げる、という部分でまず思いつくのはヤドカリかと思われます。
そしてそのヤドカリが砂に隠れた状態ということで、この時のヤドカリは脱皮のために潜っていたのではないかと思います。
ヤドカリが砂に潜る要因は様々ですが、大体は脱皮のためだそうですので。
ここで歌われる「解放」は貝殻からの解放ではなく、脱皮しようとしているヤドカリを手中にしているから、その手の内から解放してあげよう、というわけではないでしょうか。
つまるところ脱皮の邪魔をしないようにする、さらに言うと自らの力で脱皮するように見守る、と取れると思いました。
もちろんここでいう"脱皮"というのはそのままの意味ではなく、自分たちがかかわってきた子たち、とりわけ幼馴染の千歌・曜の成長のことを指していると思います。
まずは曜
1期11話「友情ヨーソロー」にて、最近千歌ととても仲のいい梨子に千歌を取られてしまうんじゃないかという思春期特有の思い込みに悩まされる曜の姿が印象的なこの話。
その心の扉を開けたのは鞠莉でした。
そしてその鞠莉の助言と梨子の電話により、曜は千歌とちゃんと向き合うことができたわけです
が
僕はここで違和感を感じました
なんで幼馴染であるはずの果南は全然曜に関わってこなかったのかと。
千歌と曜の幼馴染なのだから、果南がとりなせばもっと早く曜の悩みも解決したんじゃないだろうかと。
もしかすると果南は
あえて自分からアドバイスなどの力添えをしないようにしていたのではないか?
そしてびゅうおで鞠莉が曜にぶっちゃけトークをするよう仕向けたのも果南なのじゃないか?
幼馴染であるから、どうすれば曜は自分から動くのかもよく分かっているはずなので
それを鞠莉に話し、ぶっちゃけトークするようにしたというのもありえなくはない話です。
さらに言うと、曜も鞠莉も同じ"すれ違いの追う側"の人間なので
同じ追う者同士話も合うのでは?と果南は考えたのかもしれません。
果南と鞠莉が暗躍している、という考えのもとになる11話のワンシーンを紹介すると
プール掃除の後、梨子が欠員になったダンスフォーメーションをどうするかと考えるとき
最初に"代わりに誰か空きポジションに入れること"を提起したのは果南
そして"いち早く曜に視線をやった"のは鞠莉です
つまりこいつら、この時からグルだったという可能性もあるんですよ!!(完全なこじつけ
…話を戻しまして
曜の様子がおかしいというのも、なにもこの日を境にとは限らずもっと前からその前兆はあったかもしれませんし、それにいち早く果南が気付いていろいろと仕向ける準備もしていた可能性もゼロではありませんしね。
そこまで果南が用意周到かは正直少し怪しいですけどね
少々推理ドラマ・アニメ的な見方ではありますが
こういう所からも、果南は直接手を下すことなく幼馴染を"脱皮"させているのでは?というのがわかると思います。
そして千歌
昔から被っていた"普通人間"という手ごわい古皮
果南は地区予選突破のためには何としてもこの皮を取っ払う必要があると考え、思い悩みます。
そのためには、自分を超えてもらうしかない、と。
やろうと思えば自分がセンターでバク転ロンダート担当も出来る
でも、それでは千歌は普通人間のまま
しかし、大切な幼馴染に危険な目にあってほしくない
かつて自分に追いつこうとして足を怪我した鞠莉という実例もある
さらに、リーダーが重大な怪我をするとAqours全体の士気も下がる。
様々なリスクを鑑みてなかなか決断を下せない中、背中を押したのはダイヤと鞠莉
そのワンシーンで放った果南の言葉
届かないものに手を伸ばそうとして
そのせいで誰かを傷つけて
それを千歌たちに押し付けようとして…
さらに千歌側からも背中を押す聖良の言葉
むしろ今の出演者の多くは、先輩たちに引けを取らない
歌とダンスのレベルにある。
ですが、肩を並べたとは誰も思ってはいません。
ラブライブ!が始まって、その人気を形作った先駆者たちの"輝き"
決して手の届かない光……
手の、届かない光……
届かないものに手を伸ばすという部分で一致したわけです。
そして果南は千歌の目を信じ、任せることに。
しかし、果南は自分の立場を全うするために、決して自分からアドバイスすることなく
一番遠い場所から見守るのみ。
夜浜辺で一人練習していた時も
体育館ステージでマットを引いてみんなの前で練習していた時も
夕暮れ時の浜辺で、梨子・曜に見守られながら練習していた時も果南は何も言わず見守っていた。
すべては自分自身で"脱皮"してもらうために。
しかし、今まで何のアドバイスもしてこなかった果南が千歌に
千歌、約束して。
明日の朝までに出来なかったら、諦めるって。
よくやったよ千歌、もう限界でしょ?
と言ったのは、果南なりの詰めの一手。
そう、千歌はこう言えば燃えると知ってるから。
じゃ、諦める?
そして、信頼しあう梨子・曜の言葉、そして自分が築いた"波"の大きさを知った千歌は、走り出す。
押し付けるような形になったけど
自分を超えてくれて
自分の期待に応えてくれて
Aqoursを再び輝かせてくれて
ありがとう、千歌─────
幼馴染が"普通怪獣"の皮を脱した瞬間でした。
スクールアイドルを再び始めてから
今までなかったことが起こるようになり
さらには自分が見守ってきた娘たちが次々と脱皮していく
その一つ一つがかけがえのない"輝き"になっていく
その"輝き"の喜びを知った果南は"さかな"になって、世界に広がるこの海を泳ぎ
他にも脱皮出来ずにいるヤドカリたちを見つけ
脱皮する手伝いはせずに、自分から脱皮できるように見守り
解放してあげたい
という思いが、アニメのこういったシーンを基に歌詞になったのではないか
と、僕は考えました。
そして最後の歌詞
私はおさかな そんな気持ちのまま
ゆっくり目を開けて 足を着けて
立ちあがる ひとにまた戻りながら でも心は軽くなってた
おそらく果南は何か心にもやがかかったときや、自他問わず悩みが生まれたときに海に潜るんじゃないかと思います
正確な描写がないのであくまで妄想としてしか話すことができないのですが
海は果南にとっての"お母さん"のような存在なのではないかなと思います
……あ、果南の両親はちゃんと生きてますからね?
遠い所に行ってるだけです、あぁこれだとまた意味深になっちゃう……
ソースは1期BD5巻付属のブックレット「ラブライブ!サンシャイン!! School idol diary 果南・ダイヤ・鞠莉編」です。
(公式サイトの"Blu-ray情報"の試し読みページからでも確認できますよ!)
このように果南の両親は沖縄という距離的に遠いところにいるため、なかなか会いに行けないわけです。
でも、海なら目の前に広がっている。この空がつながっているように海も繋がっている。
繋がってないようで、どこかで繋がってるものね、みんな。
2期8話で梨子の言った何気ないセリフに通ずるところもあると思います。
その広さは全てを包み込んでくれるようだし、その透明さは心を見透かすような、そんな海はまるで母親みたいで悩みも心も晴らしてくれる。
果南にとって海はそんな場所なんじゃないかと。
入る前に抱いた思いを、入ってからは晴らしてくれて、そうして海から上がるころには肩の荷が軽くなるようなそんな気分になる。
「でも心は軽くなってた」という部分にはそういうニュアンスが含まれてると思います。
急にどうしたの?
私はせっかくここまで来たんだし、勝ちたいかな。
でもそれ以上に楽しみたい。
鞠莉やダイヤとの最後のステージを楽しみたい。
本当はせいせいしてるんだけどね、やっとこれで終わりだって。
だからこそ勝ちたい
今を、もっともっと楽しみたいから
果南の行動本質や想いの根幹はまさに「楽しみたい」こと
万が一勝てなかったとしても、美談として楽しい思い出にすることは出来たかもしれない。
でも、優勝すれば一番楽しめる、だから勝ちたい。
優勝の理由としてはとても単純で、サバサバした性格の果南らしいですが
そんな果南がアツい想いを千歌に話したのは珍しいのではないでしょうか。
そして想いの根幹のもう一つは「自由」
それはこの曲でも歌われていますし
卒業後に海外のダイビングインストラクターの資格を取りに行くことがアニメで語られていることからも分かるかと思います。
今の果南にとっては今いる"うみ"は狭い、もっともっと大きく広い"うみ"を泳いでいきたい。
海が大好きな果南らしいですね。
もしかしたら果南が「自由」にこだわる理由の一つには
かけがえのない二人の親友の存在もあるかもしれません
ダイヤは地元でも有名な名家の子女ということもあり、子供のころから格式高い生活を
鞠莉も小さいころからお嬢様な生活で、テーブルマナーなどの躾けられてた生活を送っています。
どちらも親が立派な人だからこそ、子である自分もちゃんとしないとという使命感ないし義務感がありつつも、心の奥底では普通の子のように、とりわけ沼津や内浦の自然の中で自由に生きたいという思いがあったかもしれません。
そんな二人を自由な海に連れていきたい
自分が大好きな海の景色を見せたい
そういった想いが果南の「自由」へのこだわりのきっかけになってるのかもしれませんね。
総括をすると
「さかなかなんだか?」は果南の好きな"海"についての自身の実体験も交えた想いを綴った歌詞で
この自分が大好きな海をもっともっと多くの人に知ってもらいたい。
単純明快かつ純粋な想いが込められた曲ということになります。
我が推しながら、とても素敵な曲を歌ってくれたなと心が温かくなってきます。
そんな果南らしさが詰まった「さかなかなんだか?」の考察、いかがだったでしょうか
性格を読み解くのが難しい、というか一概に「こう!」と言いずらい果南を皆さんにとっての理解するためのパズルのピースになるよう、今の自分の持てる考えをつらつら書いていきました。
もちろんこれが正しいわけでもないですし
松浦果南という少女の本質は海のようにまだまだ広いかもしれません。
そんな果南を理解していくために
理解し得たものをもっとみんなに広めるために
僕はこの"うみ"をこれからも泳ぎ続けていきたいと思います。
ご覧いただきありがとうございました!
Pastel